INAZUMA稲妻 more


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『INAZUMA 稲妻』のスタッフのコメント

『INAZUMA 稲妻』のシナリオの作り方(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060523/p1

プロットでは撮影中の偶然の事故で女が負ったことになっている傷を、実は男優がわざと女の顔を傷つけるためにやったとしたらどうか、というダークな解釈を提案しました。男優の密かな意図に女優が感応して、ダークな情念に取り付かれた男女の倒錯的な果し合いが始まる。

脚本家コメント(片桐絵梨子)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060617/p1

西山さんからのダークな指示は実に的確だったと思われます。この低予算で普通のアクション映画を目指すのは土台無理な話だったのです。「情念」は物語をつくり、物語はアクションを支え、かくしてINAZUMAはできあがったのでした。

『INAZUMA 稲妻』に関する批評

『INAZUMA 稲妻』について(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060519/p1

それは単なる相手を殺そうとする演技ではない。彼らはまるでたくさんの傷をつけることで、相手の体をうずき火照る肉塊に変えようとしているかのよう――つまり、死闘であると同時にセックスでもある斬り合いなのだ。

『INAZUMA 稲妻』について(大工原正樹)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060529/p2

仇の男を見据えるとき、眉間にしわが寄り自然に首が前に突き出る。普通だったら、なり振り構わぬ必死さだけは伝わっても、決して美しく見せることは困難な姿勢と表情が美しいのですよ、宮田亜紀さんも。

緋色の研究 『INAZUMA 稲妻』を読む(松村浩行)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060530/p2

何よりここで大切なのは、うつ伏せになった夫の傍らで、千華がセリと同じ角度から背の傷跡を見下ろしたということ、そしてそうした俯瞰する眼差しの共有のなかで、彼女たちが等しく緋色のイメージに触れたことだと思う。

グロヅカ&INAZUMAレポート(飯田佳秀)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060917/p1

『グロヅカ』レポートの中で福井裕佳梨と安藤希で夢想した関係性がそこにはあった。しかし、スクリーンの中でお互いに傷つけ合う男女を見たいという僕のやさぐれた欲望は、この映画の中では、ある代価を強いられることになる。

西山洋市の他の作品について

『死なば諸共』

『死なば諸共』について(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060826/p2

演出的には、「江戸の人々にとっての現代劇」というコンセプトを志向し、それについて思考し、かつ試行中であるような実験的な娯楽映画になっています。

死なば諸共のシナリオ工程(片桐絵梨子)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060829/p1

ある日、西山洋市氏よりシナリオの依頼。井原西鶴著『死なば諸共の木刀』。西山氏の言葉、「時代劇のつもりで書いていいよ。片桐、こういうの得意だろ?」

『死なば諸共』に関する覚書(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061021

『死なば諸共』では、「見ることの罪」から一歩踏みこんで、「演出することの暴力」とでも呼ぶべきものを観客は意識することになる。

『桶屋』(シネマGOラウンドの一篇)

乾杯!ゴキゲン野郎(シネマ)~シネマGOラウンドによせて~(常本琢招)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060804/p1

『桶屋』にはとにかく笑わせられたなア。西山さんの映画はいつもクイクイと見せられて、終わったあとにこの人なんでこんな発想できるんだろうと慄然とさせられるの。

「夏祭@映美」によせて(大工原正樹)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060818/p1

「シネマGOラウンド」はオムニバス映画という体裁で上映されることが多いらしいのだが、この4本はオムニバスの形式にはなっていない。真っ向勝負、全力投球の濃密な短編映画4本の競作、と謳った方が観る人に心構えが出来て親切だ。

西山洋市のエッセイなど

高橋洋との対話(1)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060617/p1

僕は、演出的には「役のノリ」を掴んでもらうと言ったほうがいいのではないかと思います。「ノリ」というと音楽的で軽いニュアンスの言葉ですが、役をある音楽的なトーンで掴まえて、それにノッて歌い踊るかのようなイメージの「ノリ」で、ノッてもらうにはエモーショナルなきっかけが必要です。

高橋洋との対話(2)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060714/p1

「ノリ」というのはそういうふうにいろいろ解釈したりしない、考えない状態で、役を演じて見せている、開かれた状態というのか、ひとつの意味だけに収束していない、つまり自由な感じです。

『西みがき』の演技の演出について(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061018/p1

『西みがき』の出演者たちの演技は一見「ナチュラル」に見えるかもしれない。だが、実は『西みがき』はいわゆる「ナチュラル」を指向してはいない。出演者たちの演技は、ある出来事を「再現してみせる」ことのフィクション性を指向しているように僕には見える。

大工原正樹の『未亡人誘惑下宿』から演出のコンセプトを掘り返す(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061205/p2

「恋愛」そのものではなく、存在しない「恋愛」の幻想によって男女の偽の「ラブストーリー」を組み立てること、それが、この映画における大工原正樹の演出のメインのコンセプトだと思われる。

『のぞき屋稼業・恥辱の盗撮』で描かれなかった顔についてみんなに聞きたい(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070121/p2

だが、犯人は、その時、どんな顔をしていたのか、やはり気になる。もし撮っていたとしたら、堀内正美はどんな顔を見せてくれただろうか?

井川耕一郎への返信(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070606

自主製作映画のときの出演者の素の魅力を基にして役を立ち上げるというやり方と、それとは正反対の、役者のうまさで立ち上がっている役にさらに役者の素の魅力を盛り込むにはどうすればいいのか、という2方向のアプローチから、より意識的にフィクションとしての芝居のあり方と役者の演出について考え始めたのだと思います。

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