寝耳に水 more


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『寝耳に水』のスタッフのコメント

監督のコメント(井川耕一郎)

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/4590/nemimi2.html

二年前の秋、山本周五郎原作、田坂具隆監督、鈴木尚之脚本のオムニバス時代劇『冷飯とおさんとちゃん』(65)を観た。どの話も面白かったが、特に「おさん」には心から動かされた。裸もからみもないのにエロティックなこの映画の文体を自分なりに受け継いでみたいと私は思った。そうしてできあがったのが『寝耳に水』である。

『寝耳に水』に関する批評

『寝耳に水』について(非和解検査)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060923/p1

何よりラストの、坂口が実際には“いつ”語っているのかについてを明かした挿話などは、出鱈目に過ぎる《物語》ではないか。ここに至って井川のシニズムは、ユーモアへと突き抜けているように思える。映画そのものが事件と化すような、貴重な一瞬が到来したように思える。

乾杯!ゴキゲン野郎(シネマ)~シネマGOラウンドによせて~(常本琢招)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060804/p1

『寝耳に水』を観ると、『ついのすみか』で頂点に達した室内演出の完成度の高さを、今回は崩そう、というか方向転換させようとしているのが見え、新しい演出にチャレンジしようとするその戦いぶりには同じ演出家として共感させられたぜ。

「夏祭@映美」によせて(大工原正樹)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060818/p1

「シネマGOラウンド」はオムニバス映画という体裁で上映されることが多いらしいのだが、この4本はオムニバスの形式にはなっていない。真っ向勝負、全力投球の濃密な短編映画4本の競作、と謳った方が観る人に心構えが出来て親切だ。

『寝耳に水』解説(筒井武文)

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=1628

井川耕一郎は、密室の想像力の作家である。それはピンク映画の脚本や過去に撮られた8mm作品(『ついのすみか』『せなせなな』)でも一目瞭然だ。『寝耳に水』もそうした井川的想像力に満ちた世界が全面展開されている。

井川耕一郎の他の作品について

『西みがき』

彼女たちを撮りたいと思った。(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060904/p2

8期高等科の製作実習を担当することになったとき、私がまっさきに思ったのは、本間幸子主演で撮ろうということだった。共演は、演出実習で同性愛の女の子役を演じてくれた粕谷美枝さんしか考えられなかった。とにかく二人は仲がよい。

出演者コメント(本間幸子)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060904/p3

出演者コメント(粕谷美枝)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060827/p2

出演者コメント(西口浩一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060827/p3

出演者コメント(中村聡)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060827/p3

井川耕一郎の発言・エッセイ

『おんなの細道 濡れた海峡』を読む(井川耕一郎)

その1

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060622/p1

その2

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060629/p1

その3

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060705/p1

その4

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060723/p1

その5

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060727/p1

(映画美学校のシナリオの授業の要約。テキストは田中陽造の『おんなの細道 濡れた海峡』)

無限の痛みのような―『団鬼六 花嫁人形』について―(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060812/p1

いどあきおは人間の生の基層に植物のような幽閉状態があると考え、そこに下りていくことでドラマを産みだしていった。

『引き裂かれたブルーフィルム』(監督・梅沢薫、脚本・大和屋竺)について(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061006/p1

そしてついに『引き裂かれたブルーフィルム』では映画製作がテーマとなる。映画の魔力を大原にも感染させ、自分の映画に嫉妬するように仕向けること――それこそが土居の無意識が求めていたものではなかったか。

神代辰巳論(井川耕一郎)

その1・2

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070216/p1

その3

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070221/p1

その4

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070301/p1

その5・6

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070310/p1

神代の映画の魅力は、一言で言って何だろうか。私は前にそれを「だらしないことの気持ちよさ」と考えたことがある。だが、ここでは、幽霊になることの快楽と言っておこう。こう言ったとき、私の頭の中では、「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌がひとりでに流れているのだが、この歌ほど神代的なものはないように思う。

石田民三『花ちりぬ』について(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070426/p1

二度目にラストを見たとき、この花井蘭子とよく似た姿をずいぶん前に映画で見たことがあるな、と私は思った。 1954年に製作された『ゴジラ』がそれだ。 ゴジラによって破壊される街を呆然と見つめる人々の姿が、あまりにも『花ちりぬ』の花井蘭子と似ているのである。 『花ちりぬ』の花井蘭子がラストで見ているものは、世界が滅んでいく光景と言ってもいいくらいだ。

『INAZUMA 稲妻』について(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060519/p1

それは単なる相手を殺そうとする演技ではない。彼らはまるでたくさんの傷をつけることで、相手の体をうずき火照る肉塊に変えようとしているかのよう――つまり、死闘であると同時にセックスでもある斬り合いなのだ。

『死なば諸共』に関する覚書(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061021

『死なば諸共』では、「見ることの罪」から一歩踏みこんで、「演出することの暴力」とでも呼ぶべきものを観客は意識することになる。

大工原の主演女優にハズレなし。(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060517/p3

大工原作品を見ていると、この女優はこんなに良かったのか!と発見させられることが多い。大工原のヒロインは皆、一見おっとりしたたたずまいである。だが、内に秘めた堅い芯があらわになるときがあって、そこが魅力的なのだ。

回り道をして家に帰る―大工原正樹『六本木隷嬢クラブ』について―(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061201/p2

大工原正樹はくりかえし同じ屋根の下に人々が集まって暮らすことをテーマにして作品をつくっている。そして、そうした共同生活が危ういバランスの上に成り立っていることを描こうとしているようなのだ。

『のぞき屋稼業 恥辱の盗撮』について(井川耕一郎)

その1

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070121/p4

その2

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070121/p5

シナリオの直しの打ち合わせのときに、大工原が問題にしたのはこの長い芝居の終わり方だった。「井上が自分で注射を打って自殺するようにして下さい」と大工原は私に言ったのだった。

風と家と唇―大工原正樹『風俗の穴場』について(井川耕一郎)

その1  

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061208/p3

その2  

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061208/p4

その3-1

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061208/p5

その3-2

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061208/p6

『風俗の穴場』を見た今となっては、主演に他の女優はとても考えられない。それくらい、『風俗の穴場』の石川萌は、風を思い出させる透明度の高さで、見る者の心にいつまでも残る女優になっていると思う。

やりすぎツネモト/みなしごツネモト(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060515/p1

映画の後半、モノレールに板谷・水橋の二人が乗るシーンがあるが、そこで途方に暮れた水橋研二は思わず板谷由夏の肩に頭を預けてもたれかかる。その仕草は何とも少女ぽいものだ。しかし、二人の間に性的な要素がないために、ごく自然な仕草に見えてしまう。そして、この世界の中に居場所をみつけらない者たちが、つかの間、幻の居場所を見出したかのような歓びとも悲しみともつかない複雑な感情をにじませるのである。

主題歌「みなしごキッチン」について(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070317/p3

常本琢招の『制服本番 おしえて!』は、アイドル映画を撮りたいという欲望に貫かれているところが爽快だ。

『成田アキラのテレクラ稼業』について(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070509/p2

私が、あれはよかったなあ、と感想を言うと、常本はこう答えた。あのシーンを撮っているとき、ミスターちんと丘咲ひとみには面白い芝居をしそうな予感があった。それで、カットをかけるのをわざと遅らせたら、アドリブでああいう芝居をやってくれたわけです。

フランス書院文庫シリーズについて(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070526/p2

二人の男優は常本の「カット!」の声がかかると、すぐに私のところにやって来るのだった。そうして、さっきの芝居はOKでしたかね?と尋ねてくる。そういうことは常本さんに訊いてみたら、と言うと、いやあ、監督はぼくの芝居なんか見ちゃいませんよ、と言うのだった。たしかに常本は主演の橘未稀にべったりはりつくようにしてずっと演技指導をしていた。

ああ、ふりまわされたい―常本琢招『恋愛ピアノ教師 月光の戯れ』について―(1)(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070325/p3

おそらく、常本たちが『恋愛ピアノ教師 月光の戯れ』の中で中原中也の詩を引用したのは、エッチVシネマにお別れを告げてみたかったからだ。

『よろこび』『黒アゲハ教授』『犬を撃つ』について(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060521/p1

『集い』(遠山智子)について

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060601/p3

映画美学校第2期初等科終了作品に関する感想。

西山洋市への手紙(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070531

そういうときに、『月刊シナリオ』1980年4月号に載っていた宇田川幸洋の「神代シネマフィールドノオト」というレポートを読んで(これは今読み返してみても、実にいい現場レポートです)、あ、そういうやり方があるのか!と思ったわけです。

大工原正樹への手紙(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070604

 演出についても似たようなことが言えるのではないか、と思うのですが、どうなんでしょう? つまり、ある問題をどう解決するかを考えていると、無意識がそれに連動して他の問題も同時に解決してくれるのではないか、と。

常本琢招への手紙(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070705

自分を一個のサンプルとして観察することで、演出するとはどういう作業なのかを研究する――それがプロジェクトINAZUMAの基本姿勢かな、という気がします。

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