寝耳に水 staff

監督・脚本:井川耕一郎(いかわ・こういちろう)

1962年生まれ。早稲田大学在学中に早大シネマ研究会に所属。86年に製作した『ついのすみか』がぴあフィルムフェスティバルに入選。93年、後藤大輔『のぞき屋稼業』で脚本家デビュー。映画美学校では第2期から演出・脚本部門の講師を務める。

脚本作品

『のぞき屋稼業』(93年・監督:後藤大輔)*

『パチンカー奈美2』(93年・監督:光石富士朗)*

『成田アキラのテレクラ稼業』(94年・監督:常本琢招)*

『女課長の生下着 あなたを絞りたい』(94年・監督:鎮西尚一)

『ゴト師株式会社』(94年・監督:後藤大輔)*

『人妻玲子 調教の軌跡』(95年・監督:常本琢招)*

『のぞき屋稼業7』(95年・監督:常本琢招)*

『黒い下着の女教師』(96年・監督:常本琢招)*

『のぞき屋稼業 恥辱の盗撮』(96年・監督:大工原正樹)*

『ニューハーフ物語 わたしが女にもどるまで』 (97年・監督:山岡隆資)*

『痴漢白書10』(98年・監督:山岡隆資)*

『妖怪令嬢 淫辱』(01年・監督:樫原辰郎)*

『ダムドファイル』(03~04年・TV)

『片目だけの恋』(04年・監督:渡辺護)

『赤猫』(04年・監督:大工原正樹・映画美学校)

(*印がついたものはオリジナルビデオ作品)
監督作品

『寝耳に水』(00年)

『伊藤大輔』(03年)

『西みがき』(06年)

アニメーション監督:新谷尚之(にいや・なおゆき)

1962年生まれ。アニメーション作家。作品に『納涼アニメ 烏賊電球祭』『灰土警警部補の事件簿 人喰山』など。『真夜中の記憶』で第2回文春コミック新人賞を受賞。映画『ピエタ』、『インフェルノ 蹂躙』(共に監督:北川篤也、脚本:高橋洋)では、劇中画・アニメーションなどを担当。
『灰土警警部補の事件簿 人喰山』はゆうばりファンタスティック映画祭、Nippon Conection、第五屆北京獨立電影展、PANORA、Encounters short film festival、Zipangu Fest等、各国の映画祭で上映される
新谷尚之のサイト
「幻のソドム城」
傑力珍怪映画
http://www.ketsuriki.com
『納涼アニメ 烏賊電球祭』
http://www.youtube.com/watch?v=AHPudBNNYL0

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寝耳に水 cast

長宗我部陽子(ちょうそかべ・ようこ)

1973年生まれ。95年、今岡信治『彗星待ち(獣たちの性宴 イクときいっしょ)』でデビュー。主な出演作に、常本琢招『新任女医 淫らな診察室』(97)、サトウトシキ『新宿♀日記 迷い猫』(98)、中田秀夫『リング2』(99)、風間詩織『せかいのおわり』(04)などがある。

キネマ工房(所属事務所)

長宗我部陽子について(井川耕一郎)

 鎮西尚一の監督作品『ザ・ストーカー』の撮影を見に行ったときだった。現場はガソリンスタンドで、鎮西は女優のそばまで行って何か話していた。演技に関することらしいが、遠くにいたのでよく聞こえない。だが、真剣に話を聞く女優の前でふいに笑いだしたのを見て、ああ、鎮西さん、のってるな、あの女優のことを面白がってるな、と思った。たしかに不思議な存在感のある女優だった。いや、非存在感というべきか。突っ立ってひとを見ているだけの芝居なのに、ほんの数ミリ、宙に浮いているような感じがあった。

 その女優が長宗我部陽子さんだった(当時は長曽我部蓉子)。彼女の魅力は演じる役柄からはみだしてしまう(非)存在感にあるのではないか。最後の最後に「本当は、わたし、人間じゃないんですよ」と真顔で言いだしそうな危うさが常にあるのだ。それは私が脚本を書き、山岡隆資が監督した『ニューハーフ物語 わたしが女にもどるまで』のときにも感じたことだ。長宗我部さんは記憶喪失になったニューハーフ嬢を演じたのだが、たたずむ姿を見てぞっとしたのを覚えている。これはまるで幽霊のようではないか……。そのことが強く印象に残っていて、『寝耳に水』の弘美役を長宗我部さんにお願いしたのだった。


山崎和如(やまざき・かずゆき)

1976年生まれ。早大入学と同時に演劇活動を開始。98年の『カエルとムームー』よりベターポーヅに参加。舞台の他に映画『明日の記憶』(06)、WEBドラマ『キミノミカタ』(06)などにも出演。8月7日(火)~12日(日)、下北沢OFFOFFシアターでベターポーヅ最終公演『4人の美容師見習い』がある。

ハイレグタワー(所属事務所)

ベターポーヅ

CM「東京スター銀行/スターワン住宅ローン篇」

WebCM「ホンダ SPIKE/Hobby in カーゴ」

山崎和如について(井川耕一郎)

 ベターポーヅの芝居には、独特のすっとぼけた味わいがある。それは役者の演技の質と大いに関係があることだ。演技から人間ぽいリアクションを徹底的に排除した結果、セリフとセリフの間に空虚だが、不思議と心地よい時間が流れる。たぶん、作・演出の西島明は、人間ではなくて人形を演じてほしい、と役者に望んでいるのではないだろうか。

 だが、ベターポーヅの芝居を何度か見ているうちに、もう一つ、別の楽しみがあることに気づく。役者が人形を演じようとすればするほど、ふとした瞬間にその役者自身の人間性がにじみ出てきてしまうのだ。山崎和如の場合には、他の役者が舞台の中央で芝居をしているのをじっと見つめているときがそうだった。彼のまなざしには、人間に対するやさしさと、事のなりゆきをきちんと見届けようという冷静さが同時に感じられる。

 これと同じまなざしを私は『寝耳に水』の撮影現場で見ている。撮影準備をしているスタッフを見つめる山崎和如の目がまさにそうだったのだ。山崎くんが演じた長島という役は、妄執にとり憑かれた、半ば気の狂った役だった。だが、狂った役を演じるには、人間を冷静に見つめる知性が必要だ。そういう点で、山崎くんは実に知性のある役者だと思う。


清水健治(しみず・けんじ)

1968年生まれ。立教大学在学中より自主映画を製作。それにあわせて友人の作品に役者として参加する。『寝耳に水』撮影時は映画美学校第3期フィクション科生。

清水健治について(井川耕一郎)

 本当のことを言うと、私は「演技力」という言葉をまるで信じていない。一般に演技力と言われているものは、それらしく見える演技の型をいくつ覚えているかということでしかないからだ。ピンク映画を二百本以上撮ってきた腕のいい職人監督である渡辺護はこう言っている。「スクリーンに演技力など映らない。スクリーンに映るのは、役者の人柄であり、存在感だ」。この言葉は演技に関する真実をずばりついていると思う。

 清水健治を見かけたのは映画美学校のロビーでだった。撮影実習の打ち合わせをする生徒たちの中にいて、彼は司会の役をやっていた。やがて打ち合わせが終わり、生徒たちは散り散りになった。テーブルの上には、灰皿やジュースの空き缶が置きっぱなしになっている。それを清水くんはたった一人で黙々と片づけていた。

 私はその清水くんの姿を見て、はっとした。半分気狂いになりかけている長島の話につきあう坂口には、律義さ、生真面目さが必要だ。だとしたら、今、目の前で片づけをしている彼こそ、まさに坂口ではないか。演技力の有無などはどうでもよかった(実際には、清水くんには演技経験があったのだが)。私は清水くんに出演をお願いした。結果として、このキャスティングは成功であったと思う。

山之内菜穂子(やまのうち・なほこ)

1970年生まれ。主に舞台を中心に活躍。主な出演作に『PANGEA』、『SEXはなぜ楽しいのか?』、『スウィート・アイデンティティ』など。昨年は夫で漫画家の天久聖一作・演出の『オスウーマン』に出演した。

山之内菜穂子について(井川耕一郎)

 『寝耳に水』は「シネマGOラウンド」という四本の短編からなるオムニバスの中の一本だった。このオムニバスの製作準備をしているときに四本合同のオーディションを行うことになった。大げさなことがイヤなので、最初は渋々の参加だったのだけれど、結果的に、このとき、山之内菜穂子さんと出会うことができてよかったと思っている。

 オーディションは六人ずつ部屋に入ってもらって面接するというものだった。当然のように大半のひとがとても緊張していたのだけれど、その中に一人だけ、他のひとの話に本当に聞き入って頷き、微笑んでいるひとがいた。そのひとが山之内さんだった。

 『寝耳に水』がかなり息苦しいドラマになることは脚本を書く前から分かっていた。なので、風通しのいい、ほっとするシーンを一つだけでもいいから作ろうと思った。そうして出来たのが、坂口と彼の妻・恵子との会話のシーンだった。私は恵子役を山之内さんにお願いした。オーディションで見た笑顔が強く印象に残っていたからだ。

 もう一つ、山之内さんの魅力には、声がある。『寝耳に水』のあと、私は『伊藤大輔』という映画論映画を製作したのだが、そのとき、山之内さんにナレーションをお願いした。彼女の声はやわらかく響き、表現に奥行きを与えてくれたように思う。

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寝耳に水

消し去りたい失ったことの痛み
わたしを忘れないで、と彼女は死後も彼の耳に囁く


あらすじ

 真夜中、ぽたり、ぽたり……と滴り落ちる水の音がどこからか聞こえてきて、坂口(清水健治)に昔のことを思い出させる。それは、友人の長島(山崎和如)がふらりと訪れて坂口に話した奇妙な体験談だった。

 「痛い、痛い、一緒にいたい……」。長島の部屋でふいにそう呟いた恋人の弘美(長宗我部陽子)は、数日後、交通事故で亡くなってしまう。一体、あの言葉は何だったのか? 弘美は死を予感していたのか?

 
 長島は彼女を失った痛みを忘れようとするが、あるとき、雑誌の投稿欄に彼女の名前を見つけてしまう。彼に呼びかけているかのようなその投稿はあの世からのメッセージなのか……

 長島は投稿した女性に手紙を書き、会おうとするが、拒絶されてしまう。心の中に残っていた弘美への思いにまた火がつき、苦しみだす長島。悪夢の中で、誰かこの火を消してくれ、と求めると、水を滴らせながら、女がひっそりと枕もとに立った。彼女は亡くなった弘美であった……

☆解説☆

 長島(山崎和如)は助監督の仕事をしているときに見つけたSM雑誌の投稿記事を坂口(清水健治)に見せる。そして、その投稿を書いた処女のマゾヒスト・田代弘美に探し求める過程で体験した奇妙な出来事を話しだすのだが、しかし、彼が本当に話したいのは同姓同名の別人――事故死した恋人(長宗我部陽子)のことだった。

 映画の中では、幻影肢のことが話題になる。身体の一部を失ったあとも、まるでその部分がまだあるかのように痛みを感じるという不思議な現象のことである。長島にとって、亡くなった恋人・弘美はまさに幻影肢のようなものであった。

 だが、一体、なぜ長島はそこまで弘美の幻影に囚われ続けるのか。それは彼女が亡くなる数日前に唐突に発した言葉のせいだった。夕暮れの長島の部屋で呟いた「痛い、痛い、一緒にいたい」という謎の言葉。あれは自分の死を予感してのことだったのだろうか。

 謎の言葉を呟くときの長宗我部陽子がぞっとするほど美しい。長島と布団の中でじゃれあっていた彼女はふいに目を閉じる。そして、次に目を開けたときには、それまでの彼女とはまるで違うひとになっている。その目はまるであの世を見つめているかのようだ。

『寝耳に水』

(2000年・ビデオ・32分)

キャスト

長宗我部陽子(弘美)

山崎和如(長島)

清水健治(坂口)

山之内菜穂子(恵子)

スタッフ

製作:映画美学校(第2期フィクション高等科製作実習作品)

製作管理・進行:山口博之

監督:井川耕一郎

撮影:大城宏之、遠山智子、橋本彰子

照明:尾崎淳一、浅野学志、土屋直人

録音:宮田啓治、光地拓郎

アニメーション監督:新谷尚之

耳模型製作:湊博之

衣裳:鈴木紀子

編集:浦山三枝、荻野健一

助監督:佐藤宏紀、浦井崇、石住武史

スクリプター:四方智子

制作進行:北岡稔美、柴野淳、大野敦子

車輌:白石賢士

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INAZUMA稲妻 trailer

予告編

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INAZUMA稲妻 more

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『INAZUMA 稲妻』のスタッフのコメント

『INAZUMA 稲妻』のシナリオの作り方(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060523/p1

プロットでは撮影中の偶然の事故で女が負ったことになっている傷を、実は男優がわざと女の顔を傷つけるためにやったとしたらどうか、というダークな解釈を提案しました。男優の密かな意図に女優が感応して、ダークな情念に取り付かれた男女の倒錯的な果し合いが始まる。

脚本家コメント(片桐絵梨子)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060617/p1

西山さんからのダークな指示は実に的確だったと思われます。この低予算で普通のアクション映画を目指すのは土台無理な話だったのです。「情念」は物語をつくり、物語はアクションを支え、かくしてINAZUMAはできあがったのでした。

『INAZUMA 稲妻』に関する批評

『INAZUMA 稲妻』について(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060519/p1

それは単なる相手を殺そうとする演技ではない。彼らはまるでたくさんの傷をつけることで、相手の体をうずき火照る肉塊に変えようとしているかのよう――つまり、死闘であると同時にセックスでもある斬り合いなのだ。

『INAZUMA 稲妻』について(大工原正樹)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060529/p2

仇の男を見据えるとき、眉間にしわが寄り自然に首が前に突き出る。普通だったら、なり振り構わぬ必死さだけは伝わっても、決して美しく見せることは困難な姿勢と表情が美しいのですよ、宮田亜紀さんも。

緋色の研究 『INAZUMA 稲妻』を読む(松村浩行)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060530/p2

何よりここで大切なのは、うつ伏せになった夫の傍らで、千華がセリと同じ角度から背の傷跡を見下ろしたということ、そしてそうした俯瞰する眼差しの共有のなかで、彼女たちが等しく緋色のイメージに触れたことだと思う。

グロヅカ&INAZUMAレポート(飯田佳秀)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060917/p1

『グロヅカ』レポートの中で福井裕佳梨と安藤希で夢想した関係性がそこにはあった。しかし、スクリーンの中でお互いに傷つけ合う男女を見たいという僕のやさぐれた欲望は、この映画の中では、ある代価を強いられることになる。

西山洋市の他の作品について

『死なば諸共』

『死なば諸共』について(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060826/p2

演出的には、「江戸の人々にとっての現代劇」というコンセプトを志向し、それについて思考し、かつ試行中であるような実験的な娯楽映画になっています。

死なば諸共のシナリオ工程(片桐絵梨子)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060829/p1

ある日、西山洋市氏よりシナリオの依頼。井原西鶴著『死なば諸共の木刀』。西山氏の言葉、「時代劇のつもりで書いていいよ。片桐、こういうの得意だろ?」

『死なば諸共』に関する覚書(井川耕一郎)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061021

『死なば諸共』では、「見ることの罪」から一歩踏みこんで、「演出することの暴力」とでも呼ぶべきものを観客は意識することになる。

『桶屋』(シネマGOラウンドの一篇)

乾杯!ゴキゲン野郎(シネマ)~シネマGOラウンドによせて~(常本琢招)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060804/p1

『桶屋』にはとにかく笑わせられたなア。西山さんの映画はいつもクイクイと見せられて、終わったあとにこの人なんでこんな発想できるんだろうと慄然とさせられるの。

「夏祭@映美」によせて(大工原正樹)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060818/p1

「シネマGOラウンド」はオムニバス映画という体裁で上映されることが多いらしいのだが、この4本はオムニバスの形式にはなっていない。真っ向勝負、全力投球の濃密な短編映画4本の競作、と謳った方が観る人に心構えが出来て親切だ。

西山洋市のエッセイなど

高橋洋との対話(1)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060617/p1

僕は、演出的には「役のノリ」を掴んでもらうと言ったほうがいいのではないかと思います。「ノリ」というと音楽的で軽いニュアンスの言葉ですが、役をある音楽的なトーンで掴まえて、それにノッて歌い踊るかのようなイメージの「ノリ」で、ノッてもらうにはエモーショナルなきっかけが必要です。

高橋洋との対話(2)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060714/p1

「ノリ」というのはそういうふうにいろいろ解釈したりしない、考えない状態で、役を演じて見せている、開かれた状態というのか、ひとつの意味だけに収束していない、つまり自由な感じです。

『西みがき』の演技の演出について(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061018/p1

『西みがき』の出演者たちの演技は一見「ナチュラル」に見えるかもしれない。だが、実は『西みがき』はいわゆる「ナチュラル」を指向してはいない。出演者たちの演技は、ある出来事を「再現してみせる」ことのフィクション性を指向しているように僕には見える。

大工原正樹の『未亡人誘惑下宿』から演出のコンセプトを掘り返す(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061205/p2

「恋愛」そのものではなく、存在しない「恋愛」の幻想によって男女の偽の「ラブストーリー」を組み立てること、それが、この映画における大工原正樹の演出のメインのコンセプトだと思われる。

『のぞき屋稼業・恥辱の盗撮』で描かれなかった顔についてみんなに聞きたい(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070121/p2

だが、犯人は、その時、どんな顔をしていたのか、やはり気になる。もし撮っていたとしたら、堀内正美はどんな顔を見せてくれただろうか?

井川耕一郎への返信(西山洋市)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20070606

自主製作映画のときの出演者の素の魅力を基にして役を立ち上げるというやり方と、それとは正反対の、役者のうまさで立ち上がっている役にさらに役者の素の魅力を盛り込むにはどうすればいいのか、という2方向のアプローチから、より意識的にフィクションとしての芝居のあり方と役者の演出について考え始めたのだと思います。

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